今、話し合っておこう

2017年02月03日

Posted by kennakasho at 16:04Comments(0)
現役時代同期だった友人の年賀状に、同じ同期のO君が心筋梗塞で亡くなったと添え書きがあった。あの時と違いとても寂しいびっくりである。

  O君は現場技術者出身で指導者の立場を終えて
  作業手配者として内勤し始めた時期に同職場に
  なった。小太りの体、いかつい顔つきは迫力が
  あったが、言葉使いが荒いのに語りに愛嬌が溢れ、
  妙に親しみを感じていた。
   昭和60年ころかコンサート会場の京都会館で
  バッタリ「なんでお前が高橋真梨子なんや!」という
  表情で互いに顔を見つめ合った。
   彼は阪神ファンの虎キチ私は隠れ巨人、性格が
  対照的だけにびっくりし、意気投合のきっかけであった。
   同じ頃、関西地区から9チーム、他地区から3チームが
  戦うソフトボール全社大会に出場する京都府管内の優勝
  チームにO君と私が補強選手で選ばれ、優勝した福知山
  チームの練習に京都から通う道中で親密度を増した。

合掌




最近ある医師の話を聴いた
「人の亡くなる時は突然やって来ることが多い、亡くなった人と
一人語りする虚しさを想うと、機会あるごとに自分の終わり方や家族
への思いを伝えて置くことは残される人にとっても大切な事です」


私は10年前に妻を亡くしている、二度目の癌であった。一度目の癌もステージⅣで余命3ヶ月を奇跡的に助けられ10年経過して、新発ガンを発症した。最初の癌の闘病に入ってから妻の思いを聞くことが多くなり、「延命治療はゴメンや、ただし痛みの緩和はお願い!」をよく聴いた。二度目の闘病1年間は5日ほど緩和ケア病棟に入院した以外は通院治療し最後の看取りまで在宅で過ごせ、見守りがしっかり出来たと自賛している。癌も考えに拠っちゃ悪くない!