マッピング

2014年06月21日

Posted by kennakasho at 10:15Comments(0)ICT&SNS
昨日(6月20日)、OSM(オープンストリートマップ)の講演を聴いた。

2004年、英国で始まった。誰でもが編集できるウィキペディアの地図版というイメージらしい、

ー市民による自由な地理情報データ作成プロジェクトー
個人でも利用でき、ビジネス、コミュニティ団体にも利用可能で地理情報が積み重なっていくわけである。

防災マップ、サイクリングロードマップ、山歩きマップ、旧街道マップなど
目的を持って情報を集め、地図を編集し、利活用していける。



 マッピング(地図を作る、編集する、情報を埋め込む)という言葉が盛んに
飛び出して、20数年前、道路占用情報を電子データー化して道路管理センターへ収める仕事をしていた事を思い出した。

 CPUとモニターは別として、データーの記憶装置が厚さ15cmの碁盤が何段も積み重ね保存していたが、今はノートパソコンで賄えるという。
 15人ほどの派遣社員の作成したデーターを、直径30cmほどのオープンリールの磁気テープに何巻も吸い上げ、道路管理センターへ納品していたが、現在ではクラウドへアップロードして完結するのであろう。

正にダウンサイジング、或いはサイズレス(こんな言い方有り?)に変わった。



小学生のICT

2014年06月18日

Posted by kennakasho at 22:38Comments(0)ICT&SNS
 今日、湖南市立菩提寺北小学校のコンピュータクラブ授業のサポート役としてICT湖都のメンバーでボランティア活動を行ってきました。

 タブレット端末を使って来年2月に成果を出す事を目標に活動することになっていて、児童らは具体的な成果物を決め、その素材作りとしてタブレットを使って写真撮影と編集に取組んだ。

 児童らは初めてのアプリケーションソフト(写真編集ソフトPic Collage)にも臆することなくトライ&エラーを繰り返しながら目的を達していた。










市民活動学校で講議

2014年06月16日

Posted by kennakasho at 10:32Comments(0)ICT&SNS
我々ICT湖都のメンバーが講師を務める、大津市市民活動学校のICT入門講座(第2回)が明日都浜大津の交流スペースで開催された。



日本の家系

2014年06月15日

Posted by kennakasho at 09:59Comments(0)雑感
 一昨年、祖母の実家の跡取り(男)が断絶した。

 祖母の代は六男一女(長男と六男未婚で没、三男養子、四男子なし、五男勘当)次男が跡継ぎ、その次男、三男五女に恵まれるが後妻の長男が家を継いでいたが、この叔父が一昨年亡くなったのである。

 この叔父の一人娘が家代々の墓を守っていたが、家が途絶えたこと、嫁ぎ先との気の重さから、家墓から菩提寺の永代供養墓に遺骨を移す事になった。

 私も、祖母と祖母の三男一女(全員死亡)に繋がる孫として今回の法要に呼ばれたわけである。



 日本の「家」制度が根強く残っている一方、本家、分家を問わず、男女別姓など新しい考え方が台頭して来てもいる。




 墓なんて持たないと思っていた私が妻を亡くした時、悩んだ挙句「宗教を選ばない」で「希望する親族誰でも」が入れる条件で墓を持った。

私が死んで、せめて孫が年に何回か墓参りに来てくれれば良いなと、今日のことを思い出しながら!



同級生の別荘体験Part3

2014年06月05日

Posted by kennakasho at 09:25Comments(0)おやじのたまり場雑感
 今回の同級生5人は、



物静かで芯のあった別荘オーナーH君、
     
   幼顔だが優秀で卒業後同じ会社に入ったT君、
                    
                 実習グループが一緒だったY君、

             就職試験を二人で受け、私は☓彼は◯だったF君。

 高度成長時代に山地を別荘分譲地として多く開発されたが、H君の土地もその当時開発分譲されたもの。T君は昭和40年台に過疎化が進みかけた、田舎の土地を共同購入する話を持ちかけてきた事があった。

 H君の地区も5,60区画あるようだが一定頻度別荘を活用しているところは片手で数える程度、建物を一度も建て無い投機目的の区画、建物が朽ちかけている区画が散見される。

コツコツ努力し出来上がったものを愛しみ、活用し愉しむ発想がないと長続きしない事を痛感させられた。

 木樹や花々の植物を知り、その果実を食物にして、自然に対する備えを学び取る事ができる者が、自然の有り難さを享受出来るのだと悟った。


残りの人生、どう振舞い、落とし前をつけるのか、ここへ来て未だ考えさせられるのか。