kennakasho
終戦直後に生まれ、小学校入学以前の記憶が空白で、祖母に育てられた私は
日本中が貧困に喘ぎながら戦後復興をめざし父親も懸命に働くなか、貧しい
ながら無邪気に過ごしたように思う。
工業高校を卒業し就職、秀でた才能、技術がなく、ただ真面目に誠実に仕事に
取り組むだけが取り柄であったが、それを善しとする時代に恵まれた。
痩せぎすで体力に自信も無かったが、先輩が野球部に入っており球拾いの手伝
いをしているうちに入部し、下手ながら仕事を終えてからと休みには練習に明け
暮れた。転勤で職場が変わっても結婚してからも野球は続いた。車を持つ事に
憧れはあり同僚を羨ましく思うこともあったが、次元が違うと悟り我慢することが
普通で、野球のお蔭で遊びに金を使わなかったように思う。
そんな男が第二の職場を卒業して11年が過ぎた、妻を亡くして7年余になろうとし
ている。リタイヤした男には「教育と教養」が大事とか?「今日行くところがある、
今日の用事がある」ことが大事で、家に籠っていては碌なことがないらしい。
そんなこんなで手当たり次第に首を突っ込んでるおっさんの日常記録です。
(2013.12.15記)