豊郷歴史散歩
世話になっているグループが「豊郷町歴史散歩」を企画してくれた。
最初に、目賀田城跡に向かう、代々、佐々木六角氏に仕え、城館の周濠跡や、比高三メートルの土塁が部分的に残され、公園入口付近には舟入と見られる内湾部(内堀)が窺える。43代目の摂津守堅政は、1582(天正10)年の本能寺の変で明智方に付き、羽柴方に捕らえられ切腹は免れるものの浪人となり、1597(慶長2)年に目加田城は廃城となってしまいました。
続いて、安政元年彦根藩主井伊家より酒造りを命じられ創業した岡村本家の酒蔵見学、昔ながらの「木艚袋搾り(きぶねふくろしぼり)」を続けるこだわりの酒造りを行っている。
続いて伊藤忠兵衛記念館、親子二代で総合商社の基盤を築いた近江商人の代表格の旧邸が中山道沿いに建っており、様々な資料や暮らしぶりが伺える。
最後に、豊郷小学校旧校舎群を訪れる。昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられた。 当時「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれたらしいが、今も「なるほど」と思わせる存在感であった。平成25年には国の登録有形文化財に登録された。
最初に、目賀田城跡に向かう、代々、佐々木六角氏に仕え、城館の周濠跡や、比高三メートルの土塁が部分的に残され、公園入口付近には舟入と見られる内湾部(内堀)が窺える。43代目の摂津守堅政は、1582(天正10)年の本能寺の変で明智方に付き、羽柴方に捕らえられ切腹は免れるものの浪人となり、1597(慶長2)年に目加田城は廃城となってしまいました。
続いて、安政元年彦根藩主井伊家より酒造りを命じられ創業した岡村本家の酒蔵見学、昔ながらの「木艚袋搾り(きぶねふくろしぼり)」を続けるこだわりの酒造りを行っている。
続いて伊藤忠兵衛記念館、親子二代で総合商社の基盤を築いた近江商人の代表格の旧邸が中山道沿いに建っており、様々な資料や暮らしぶりが伺える。
最後に、豊郷小学校旧校舎群を訪れる。昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられた。 当時「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれたらしいが、今も「なるほど」と思わせる存在感であった。平成25年には国の登録有形文化財に登録された。
穏やかな 土塁の枯芝 幾年月
試飲して 正月の酒 迷いだす
偉人知る 説明聞きし 懐手
旧校舎 モダンに佇む 冬西日

試飲して 正月の酒 迷いだす

偉人知る 説明聞きし 懐手

旧校舎 モダンに佇む 冬西日

天候に誘われて
建国記念日の祝日&土曜日(我々リタイヤ高齢者には祝日も休日も頓着なし)週2~3のウォークに出る。
自分にとって5コースのうち、石山南郷方面は京阪石山寺折り返しが常ですが、天候が良いことに誘われて石山寺門前迄往復1.5km延伸しました。

未だ梅の開花には早いせいか、門前の賑わいは四五十人ほどでした。
復路は瀬田川の右岸の遊歩道を水の流れを遡り、瀬田川と琵琶湖の境界を過ぎて粟津晴嵐あたりからの比良山系の雪山が美しかった。

有名人の墓
思いついて秀吉を祀る神社と廟を訪ねてみた。京都駅に着いて「歩いて見よう」。ポルタを上がって不明門通を北へ、下数珠屋町通を東へ、渉成園の塀に沿って河原町通を北へ、ホテルサンマルタンを見て河原町通を渡れば正面通、高瀬川、鴨川の正面橋を渡って突き当たりが豊国神社だ。

参道の右に耳塚がある。
拝殿の前に伏見城の遺構である唐門、そこに秀吉の馬印、千成瓢箪をかたどった絵馬飾りがぶら下がっている。
お参りを終えて今日のお目当て「秀吉さんの墓」へ、京都国立博物館を西から回り込んで東山通に出ると、「おんな坂」と言われている豊国廟参道が目のまえ、京都女子大学のキャンパスを見ながら、しかし目線が下がってくる。
大鳥居をくぐり、社務所、拝殿を通って心して階段を上り始める、息が上がって汗が滲むころ、中門が現れる。




無理すんな、歳なんやから
文化の日、朝からスッキリしない天気にパソコンに向かっているうちに、午前中の時間を費やしてしまった。昼食後、衣替えでタンスの中を入替していると未開封のスポーツタイツが見つかった。およそ秋冬ものにチェンジ出来たのでタイツを履いて「久しぶりに茶臼山の坂を登ってみよう」とウォーキングに出た。大腿部がタイツで程よくサポートされる感じを受けて、登り始めからジョギングに変えた。

最初の2kmが上りの連続で心拍が一気に高くなるが辛抱のしどころと脚を運ぶ、最高地点からダウンアップ3か所、後は緩やかな下りの連続、いつも此処から息は楽になるが脚がきつくなってくるのが、今日はスポーツタイツの効果を実感できた。

最初の2kmが上りの連続で心拍が一気に高くなるが辛抱のしどころと脚を運ぶ、最高地点からダウンアップ3か所、後は緩やかな下りの連続、いつも此処から息は楽になるが脚がきつくなってくるのが、今日はスポーツタイツの効果を実感できた。
発見!
昨日(29日)、12日以来のウォーキングに出た。
近江大橋を草津方面に渡って唐橋を回るコース。
唐橋まで来ると東詰で橋の拡幅工事のため
北側の歩道が通行止め、南側歩道に迂回させられた。
唐橋を渡るとき「唐橋の擬宝珠はいろんな年代の
ものが有る」と聞いてチェックしたことが有る、
滅多の通ることがない南側の擬宝珠をチェックしてみた。
発見!一番古いと言われる江戸文政年間の擬宝珠があった。
幕府から保護監理を命じられていたとされるが、
擬宝珠には「膳所藩主本田康禎」「奉行・・」「見廻・・」
「文政十・・八月吉日」などの文字が確認できる。
本田康禎は1806〜1847の第12代藩主
文政10〜は西暦1828〜





近江大橋を草津方面に渡って唐橋を回るコース。
唐橋まで来ると東詰で橋の拡幅工事のため
北側の歩道が通行止め、南側歩道に迂回させられた。
唐橋を渡るとき「唐橋の擬宝珠はいろんな年代の
ものが有る」と聞いてチェックしたことが有る、
滅多の通ることがない南側の擬宝珠をチェックしてみた。
発見!一番古いと言われる江戸文政年間の擬宝珠があった。
幕府から保護監理を命じられていたとされるが、
擬宝珠には「膳所藩主本田康禎」「奉行・・」「見廻・・」
「文政十・・八月吉日」などの文字が確認できる。
本田康禎は1806〜1847の第12代藩主
文政10〜は西暦1828〜




