息子から母への最初で最後の手紙(産経新聞1.17夕刊と関連ブログから)
6434人分の鎮魂がある。
神戸大生の加藤貴光さんは、正月帰省していた広島から西宮市の下宿先だったマンションに戻っていた。
平成7年1月17日5時46分、マンションは倒壊し胸部圧迫で亡くなった。貴光さんは、大学では英語弁論大会や国際学生会議で活躍されていて、湾岸戦争を契機に国連職員になって世界平和に貢献するという夢がありました。その夢は、あの日の震災で奪われてしまいます。
母親のりつこさんは、助けられなかった自分を責め貴光さんのお骨を抱いて涙が枯れるほど泣いたそうです。
ご飯も食べずに何も口にする事なく。貴光さんの思い出までが枯れてしまうのが嫌で、仏花が枯れないようにと部屋には暖房も入れずに一日中仏壇の前に座りお骨を抱いていたそうです。
そんな時に、自分は一人だと思い、孤独や苦しみと闘うりつこさんを前に向かせてくれたものは、貴光さんの手紙で、神大入学時に新大阪駅で母のポケットにしのばせた、丑年生まれで「うし」と呼ばれていた貴光さんがこれからの夢を語ったものでした。
神戸大生の加藤貴光さんは、正月帰省していた広島から西宮市の下宿先だったマンションに戻っていた。
平成7年1月17日5時46分、マンションは倒壊し胸部圧迫で亡くなった。貴光さんは、大学では英語弁論大会や国際学生会議で活躍されていて、湾岸戦争を契機に国連職員になって世界平和に貢献するという夢がありました。その夢は、あの日の震災で奪われてしまいます。
母親のりつこさんは、助けられなかった自分を責め貴光さんのお骨を抱いて涙が枯れるほど泣いたそうです。
ご飯も食べずに何も口にする事なく。貴光さんの思い出までが枯れてしまうのが嫌で、仏花が枯れないようにと部屋には暖房も入れずに一日中仏壇の前に座りお骨を抱いていたそうです。
そんな時に、自分は一人だと思い、孤独や苦しみと闘うりつこさんを前に向かせてくれたものは、貴光さんの手紙で、神大入学時に新大阪駅で母のポケットにしのばせた、丑年生まれで「うし」と呼ばれていた貴光さんがこれからの夢を語ったものでした。
親愛なる母上様。
あなたが私に生命を与えて下さってから早いものでもう20年になります。
これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく、暖かく、大きく、
そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。
人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……。
この20年で私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
そして今、私は、この翼で大空へ翔(と)び立とうとしています。
誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。
これからの私は、行き先も明確でなく、とても”苦”しい旅をすることになるでしょう。
疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くことも多々あることと思います。
しかし、私は精一杯やってみるつもりです。
あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。
住む所は、遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。
決してあなたはひとりではないのですから・・・。
それでは、くれぐれもおからだに気をつけて、また逢(あ)える日を心待ちにしております。
最後に、あなたを愛してくださった神様に感謝の意をこめて。
翼のはえた“うし”より